片想い礼賛
 <からだを許さない恋愛は、あるいはカタオモイは、愛されるにふさわしい人間になる努力をするんだよね。だから成長するし、美しくなる>という≪片想い礼賛≫をテーマに編集。投稿歓迎。
はるの宵ものうくきみの指のはう

おぼろなる心うつせり明けの月




★ いろはにほへと俳句を遊ぶ 09y021201

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はるの宵ものうくきみの指のはう

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 > 言ひつのる唇(くち)うつくしや春の宵   日野草城

 女は一生懸命自分の思いをぶっつけてくる。
 たぶんたわいもない、幼い言い分をまくし立てるのでしょうね。その純真さや、懸命さが、かわいくてたまらない。女が怒れば怒るほど愛おしくなる時というのがあるものです。
 愛する者の心というのは、理屈じゃないのですよね。
 女は、また、感情で動くことが多いのに、理屈で理解しようとする傾向も強いですね。
 そんな若い女の側面を、知っていて、大きく包み込んでいる男の寛さが詠われているのでしょうか。
 言いつのる若い女の、ちょっととんがった唇の動きに色気を感じるところが、日野草城さんらしい句だと思います。春の宵はそんな心にさせていくのでしょうね。


 花呼さんの鑑賞と同じように仁も読みとりました。
 草城さんの愛の表現は、すごく直接的な抒情なんですよね。


 はるの宵ものうくきみの指のはう


 もっと穿った読み込みをすることだってできるのかもしれませんね。
 男にとっての色気を感じるものは、愛情とは無関係に、その時の、欲望次第ということもあるんですよ。抱きたいと思っている時は、女が怒っていようが、愚痴こぼしていようが、泣いていようが、そのどんな表情や仕草にも、色気を感じるものなんですよ。
 唇や指は、色気ポイントです。人によってさまざまですけれど・・・


 それにしても、「春の宵」の季感がゆるがないのでしょうね。
 これが「寒の宵」だったら、その唇までも、寒々と感じるのでしょう。
 俳句は季語の斡旋がおもしろいのですね。


 > 言いつのり恋も切れたり春の宵      花呼さん


 若さだけの恋は、こうなってしまうことが多いのでしょう。
 そして、あとで、後悔するんです。
 そんなこと繰り返しながら、すこしずつ寛容になっていくのでしょうね。


言いつのる人あらばあれ暮れなずむ





★★★ 『 おぼろなる心うつせり明けの月 』 ★ 交心俳句28601 へどうぞ!!! ★★★





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ねこのようにすなおに・・・   by のぅ


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   ねこのようにすなおに・・・   by のぅ
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 寄り添って、生きていきたいと、
 ずっと願ってきました。
 あなたが寄り添って生きることのできる人だったから。
 あなたがハグを求める人には、いつでも、
 ハグすることのできる人だったから。
 そんなあなたは、わたしの光だった。
 そんなあなたは、わたしの愛だった。
 あまりにも大きな愛だった。
 わたしは、あなたに近づこうと、
 あなたに学ぼうと、
 あなたを愛したのでした。
 けれど、愛って、
 そんなものではなかったのですね・・・
 わたしは、いつも安全地帯にいたから、
 あなたのハグを、受けることなどできなかったのでした・・・
 あなたのハグを受けるほど、
 わたしの心は傷ついていなかったのでした・・・
 傷のない心で、
 どうして傷だらけの心をハグすることができるのでしょう。
 それでも、わたしは、
 ほんとうは、あなたを、ハグしていたかったのです。
 ほんとうは、あなたに、ハグしてほしかったのです。
 弱い心のまんまで、あなたと、寄り添っていたかったのです・・・

 猫のように、すなおに、すり寄っていたかった・・・



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★★★  『 あたしのこころ 』    by くぅ
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★★★  『 ふわふわ、ふわふわ 』     by ふわふわ
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★★★  『 新緑や命は羽を持って飛ぶ 』
♪♪♪ 

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9条を世界遺産に

『 愛だよ 』     by 光呼

信じれないことだって
信じたくないことだって
それはそれでいいと思うから

だけどね、
たったひとつでも理由があるのなら
愛してみようと思うんだ
たったひとつでも理由があるのなら
信じる理由になると思うんだ

塞がれても、邪魔されても
消えないものだって
きっと此処にはあるから

また、ひとつ
また、ふたつ
繋がれてる理由が増えてって

わたしはその理由に
愛されて、愛してもらって

また、ひとつ
また、ふたつ
あなたを信じていくんだから

ねぇ、知ってる?
わたしたちが見つけたものは
きっと、愛なんだ

そう、だから
消えないよ、なくならないよ

わたしとあなたは
いつでも一緒
わたしとあなたは
愛で包まれてるんだから

わたしとあなたが見つけた
たったひとつの理由は
“愛してる”
ただ、それだけ

わたしとあなたが見つけたかった
たったひとつの理由は
“愛されたい”
ただ、それだけ

わたしとあなたが見つけてく
たったひとつの理由も
“愛し合いたい”
ただ、それだけ

うん、いつだって
それだけでいいんだからね

わたしは見つけたの
あなたを信じる理由を
わたしは見つけてしまったの
あなたを信じたい理由を

わたしが探してた
信じるための理由も
わたしが求めてた
信じるための理由も

“あなたを愛してる”
ただ、それだけでよかったんだね

わたしはいつだって
あなたを愛してるから
わたしはどこにいたって
あなたの愛を感じてるから

わたしたちが見つけたもの
それは、愛だよ

“大好きだよ”の気持ちと
愛を“ありがとう”の気持ちを込めて

あるがままの愛を、あなたに捧げます





『 今日も生きている、愛があるの 01 』    by 光呼



 『 進みたい 』      by 星呼



『 冬の草大地は命の宝庫なる 』








『 信じることは大きな愛 (2) 』   by 風呼

信じ続ける…
いつまでも、いつまでも。そうすれば、
信じてくれるよね?
信じる勇気が愛へと繋がることを信じて…

信じることは大きな愛。




信じることは大きな愛 (2)




『 信じることは大きな愛 (1) 』   by 風呼 


 『 愛すること 』 by 光呼





 
素直な心に、素直な心が返ってくるよ
 『 愛することに、証はいらない 』    by 光呼

 に、生呼さんよりコメントいただきました。愛について語り合えることがHAPPYですね。
 

 仁 。。。 ≪ 生呼さん、すてきなコメントありがとう。
 <愛って言葉自体がいいですよね> 。。。
 ほんとうに仁もそう思います。愛って言葉が大好きです。使えば使うほど大きくなっていくんですよ。使えば使うほど広くなっていくんですよ。使えば使うほど深くなっていくんですよ。愛はつながり愛なんですね。

 でも、生呼さんがおっしゃるように、<ヤキモチ焼いたり 嫉妬心が芽生えたり ややこしくてめんどくさい面もある>ものです。でも、それが、愛が大きく成長していくための愛の道草だと考えるとヤキモチも楽しくなりますよ。嫉妬心は小さい自分を見せてくれます。ややこしくてめんどうくさいのは当たり前。だって心が読めないんですもの。だから、そんな迷いや苦しみや悩みを通して、愛のステップアップが待っているんです。楽しんで迷いましょうよ。楽しんで悩みと向き合いましょうよ。楽しんで同じ所にいる人と語り合いましょうよ。愛することってすばらしいですね。自分自身がこんなに変わっていくのが嬉しくなります。人の心がこんなに学びになるのが嬉しくなります。


 不安は、愛する人の心が見えないから。
 迷いは、自分の心が見えないから。

 自分の心を開こうよ。
 自分の心を伝えようよ。

 素直な心に、素直な心が返ってくるよ。
 ≫



不安は




『 今日も生きている、愛があるの 04 』   by 光呼






『 いのち 』   by 光呼



 『 人間もまた、宇宙の心の自己実現として出現している。花も蜜蜂も同じ命なんだよね 』










神様   by くぅ

なにかを得るには 
何かを捨てなければならないのかな

誰かを愛するって
誰かを愛さなくなることなのかな

与えられる愛の量って決まってて
新しいものに愛を注ぐと
今まで、注いできたものへ注ぐ愛の量は
減ってしまうものなのかな

愛ってそんな
ちっぽけなものなのかな



くぅの持っているもの全部あげるから


全てのものに
全て同じように
誰一人、寂しさを感じさせないような
愛を
愛を与える力を


くぅに与えてください






神様




 『天国まで』   by くぅ 

 『寄り添うことはハグること』 


エナージーフローの間に間に・・・
 <過去を抱いているから苦しいのだ>・・・苦しいほどの過去を抱かずに生きていれるでしょうか・・・?禅の高層は言った、「私はとっくに手放しているぞ」。とてもシンプルですね。けれどシンプルになるのは難しいですよ。禅の高僧だからできること。愚仁にできることじゃない。愚仁は濁りに濁った川の下流で生きています。滝に撃たれて欲念を払う修業なんてとうていできません。水清ければ魚棲まず。若い弟子さんは山上の清流に生きていたんでしょうね。霞を喰って生きている間はいいのでしょうけれど、下界に降りたら女人に出会わぬわけがありません。人間だもの、忽然と欲望が湧出します。人助けで抱いた女人でもあの肌の柔らかさ、温かさは忘れられるものではありません。高僧はしめたとばかりその女人の肌を楽しんだのでした。思う存分味わい尽くしたのでした。至高の時を満喫できたのです。もうその時そのものになっていたのです。時の中で燃焼した高僧がいた。だから高僧なんですよね。まるで一休さんのように・・・。
 愛には肉体の目合いと魂の目合いがあるんですよね。高僧になるともう魂の目合いができるんでしょう。魂の目合いは真交いです。真の交わり合いだから本物の愛です。かってそんな愛を愚仁はスペースラブと呼んでいました。親鸞さんは性欲に悩み苦しんで呻吟していましたがある夜夢を見たんですね。美しい女人と寝てしまった。至高の時の後でその女人が聖徳太子だったことがわかります。親鸞さんは目合いは自然の営みで、性はビューティフルであることを悟ったようです。夢で真交いを知ったんですね。おもしろいと思いませんか・・・。
 木乃実さんが「手放したもの」は何だったのでしょうか・・・。手放しは忘却じゃなく、放棄じゃなく、価値の転換、意識革命なんだと思います。禅の高僧が「私はとっくに手放しているぞ」といったのも、親鸞さんが妻帯、生臭を容認できたのも価値の転換なんでしょう。「手放す」ことは共生することです。所有しないことです。自在に出会い、自在に別れる。会者定離。空即是色です。別れた人と会うこともできる、死んだ人とだって会うことができる、そんな時空があるんです。人間が持っているもう一つの時空。魂の時空は自由自在です。人は誰でも愛し合って生きています。無所有、無拘束の、あなたは私であり、私はあなたであるような、共鳴・共振のいのちの世界があるんですね。エナージーフローに載っていけば、エナージーのハーモニー、重なり合い、交わり合い、響き合う世界が創りだされていくのでしょうね。

 『木乃実ワンダーランド』へどうぞ!
念ずれば・・・ by 93MR
『これが欲しい』 と

甘えていた あの頃のように

欲しいものは 欲しいと

大きな声で 言ってもいいとしたら

そして それが叶うとしたら

何を願うだろう





手に入れるための苦労は必要

何でも簡単に叶うなんて

夢だけで充分

念ずれば 花ひらく

想いの強さは

その苦労を乗り越えるための

願いを叶える為の 源

手にいれることを諦めれば

叶うことはない



道のりは 短くても長くても

想うことで 可能性が広がる

何を望む

何を願う



93MRさんの詩です。
 夢紗嵯さんへのメッセージとして使わせてください。これは『片想い礼賛』の基調を詠ってくれているような気もします。それで転載させてもらいました。
 93MRさんとの交心広場へもどうぞ
「愛」という字
 <笑顔が素敵な人だった>そして、<「できることをすべてしてあげる」ことが「愛」だと言った人だった・・・・・・>そんな元kareちゃんに20年間チョコレートを送り続けているんですか?うわぁあああぁっ、という叫び声しか上げることができませんよ。そんなぁぁぁ・・・そんな人が存在することが凡仁には驚異です。驚嘆です。だから、もっと知りたくなってしまうんです。そんな心の謎が解けるようになったら宇宙の謎も解けるんでしょうね。「とことん」愛するってことはそんなことなんでしょうか・・・。
 人間関係の有象無象を越えて超人的な愛が存在するのかもしれません。愚仁もかって大杉栄のフリーラブセオリーに倣って超人的な愛を追求しようとしたことがありました。併し、そんな愛を追求したいという人との出会いがないまんま胡散霧消してしまったのでした。そのむかしサルトルとボーボワールはそんな超人的愛を実践して今月今夜のこの月の下で会うことを約束してフリーラブを実行し、そして魂月今夜のこの月の下で二人はもっと深く根元的になった愛を確かめ合うことができるのでした。そんなことができるのはそんな幻視する超人の生を生きる力を持った人なんですよね。凡仁にできる話ではありません。大杉栄だってそんな超人的な女に出会えなくて合えなく終わるんですもんね・・・。
 さて、畏怖するおひつじちゃんの明快な分析を問題提起として受け止め、愚昧な脳味噌で、ゆっくりゆっくり咀嚼しながら、理解と具体化を考えていきたいと思います。

 ≪ ○○さんちで、「恋愛の愛」と「愛情の愛」の字の意味が違うって書いたけど、単純に、エロスとアガペーの違いを語るつもりはないんだ。
 前者はさ~、何ていうんだろうね~、何の疑いも持つことなく、あなたについていく・・・。まっさらの私、なんでも吸収できるし、あなたの好きなものはみんなスキ。盲目の愛、かな?吸収も早いし、留まることを知らない。
 でもね、所詮2人は他人。違った親の元、違った環境、教育、友達、時には宗教、色んな箇所で、あなた色には染まれないところがいっぱい出てくる。違って当然。みんな通る道。
 そこで、後者の「愛情の愛」のお出ましだ。少し努力が必要になる「愛」の形かもしれない。お互いの違い、お互いを知り尽くした上で、これが必要となってくる。違うからこそお互いを補える。違うからこそお互いをカバーして、助け合えるんだ。
 ぶつかり合って、考えて、歩み寄って・・・。の、繰り返しかな。

 元kareちゃんが、23年前、「中原中也詩集」の裏表紙に書き残した「できることをすべてしてあげること」が「愛情の愛」なんだろうな・・・。きっと、いまごろ、実践してるに違いない・・・。ふうぅ・・・≫\


 愛と恋は同じではないと93MRさんが体験的な問題提起をしてくれています。「恋が終わって愛が始まる」という展開も考えられます。「若さの勢いで恋が燃え上がり」そして「所詮2人は他人」、「違って当然。みんな通る道」へと入っていき、それが見えると、また理解し合えるようになる。けれど、その時は、もう別々の人生を歩いているんですね・・・。
 恋の最中でその道筋に気づくことはないのでしょうか・・・。
 恋の最中で愛の全体が見えることはないのでしょうか・・・。

 「みんな通る道」ならば、恋の最中の人にその体験者が自らの体験を一つの標本として、開示することもできるでしょう。おひつじさんのこのBLOGはそんな具体的な心の在り様を見せてくれているような気がします。想像力と勇気がおひつじちゃんに備わっているようです。
若さゆえ 勢いにまかせた・・・
 『愛と恋は同じではない』という93MRさんのメッセージをもとに愛や恋についての考えや体験を交流していきたいという老仁のお願いを聞いてもらえました。93MRさん、ありがとうございます。
 <若さゆえ 勢いにまかせた>93MRさんの恋のはじまりがあり、<私は彼を 愛してはいなかったのかもしれない>という恋の終わりがありました。誰もが体験し、そして反復し続けていく恋の始まりと終わりです。けれど、この終わりのあとに、93MRさんが思う<結婚は 愛の絆を作ること>という愛の始まりがあるのではないでしょうか・・・。
 「愛と恋は同じではない」「恋の中から愛は生まれる」「恋の終わりが愛の始まり」・・・さまざまな恋があり、さまざまな愛があり、さまざまに人がいて・・・人の数ほど恋があり、愛があり、さまざまなドラマがあり・・・『愛と恋は同じではない』は事実の表明だから奥が深くて、豊穣な海のようです。汲んでも汲んでも汲み尽くせないのが生の不思議だし、おもしろさなんでしょうね。二つの出来事の間に横たわる豊饒の海を少し遊泳させてほしいと思います。
 『自分は正直、再婚してほしいと思っている』 の椎座さんがいます。椎座さんの心はそれでも複雑です。李里李さんは『本当の私がわからない』と叫んでいます。去年の夏両親が離婚したんです。「子どもはかすがい」といいます。子どもと共に生きる生き道が、93MRさんの <結婚は 愛の絆を作ること>とどうつながっていくか探していきたいと願っています。