片想い礼賛
 <からだを許さない恋愛は、あるいはカタオモイは、愛されるにふさわしい人間になる努力をするんだよね。だから成長するし、美しくなる>という≪片想い礼賛≫をテーマに編集。投稿歓迎。
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念ずれば・・・ by 93MR
『これが欲しい』 と

甘えていた あの頃のように

欲しいものは 欲しいと

大きな声で 言ってもいいとしたら

そして それが叶うとしたら

何を願うだろう





手に入れるための苦労は必要

何でも簡単に叶うなんて

夢だけで充分

念ずれば 花ひらく

想いの強さは

その苦労を乗り越えるための

願いを叶える為の 源

手にいれることを諦めれば

叶うことはない



道のりは 短くても長くても

想うことで 可能性が広がる

何を望む

何を願う



93MRさんの詩です。
 夢紗嵯さんへのメッセージとして使わせてください。これは『片想い礼賛』の基調を詠ってくれているような気もします。それで転載させてもらいました。
 93MRさんとの交心広場へもどうぞ
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弟子入り志願
 わわわぁ、すごい!老仁はもう瞠目。そしてHAPPYです。
 こんな19歳が存在することに今更ながら驚嘆。そしてもっと生徒を信じなければという思いを強くしました。鈴音さんのような19歳がいることは、そんな15歳がいるってことだし、そんな7歳がいても一向におかしくないんですよね。それをおかしいと思わないでいい体感を鈴音さんからもらえました。ありがとう。
 何で愚仁がこんなに感動しているかというと、鈴音さんが言っていることそっくり愚仁の言葉にしても違和感ないなぁと感じるんです。というよりも、むしろ愚仁がまだ言えなかったことを鈴音さんに先に言われてしまった、実はそう言いたかったんすよ、そうなんです、そうなんです、とうなずいてしまっている愚仁がいるんです。そして、鈴音さんが言っている内容が「TAOな人」ならそういうだろうという内容と同質だと感じます。これはすごいことです。体験を理解し、新しくなるということはこういうことなんだってことを鈴音さんは、いともあっさりと、さわやかに自分自身を語ることで開示してくれています。新生2歳の老仁が最近やっと気づいて、そんな語りかけがしたいなぁと思っていたモードなんです。鈴音さんが老仁の師匠として出現したのかもしれないと思っています。
 <弟子に心の準備ができたときに、ちょうど師匠がやってくる>。TAOのプーさんの紹介で手に入れた『タオ こころの道しるべ』(ジーン・シノダ・ボーレン著)の「はじめに」はこの言葉から始まっています。この本の帯の言葉は同じく≪<わたし>に心の準備ができたとき、ちょうど<あなた>がやってくる 。共時性=シンクロニシティの世界≫とあります。シンクロニシティの発見の旅に出たら、ほんとうに、いろんな人と出会うことができて、それが偶然ではなく、はじめての人という感じもなく、ああ懐かしい人に再会できたとさえ感じることのできるような人たちとの出会いなんです。ひょっとすると鈴音さんが「私」という時空の中であって共生していたかもしれないと感じてしまうほど懐かしいと感じます。心の深いところでの感じです。けれど、心の浅いところでは、わあぁ、すごい、こんな19歳が存在するんだ。もっと知りたい。どうしてこんな存在になれたんだ、教えてほしい。新鮮で、輝いていて、限りなく大きな世界を予感できる存在に驚嘆してしまっている老仁がいます。知りたい、教えてほしい、学びたい、という心を持ってシンクロニシティの旅に出たら、即出会ったんですから、老仁はHAPPYです。<弟子に心の準備ができたときに、ちょうど師匠がやってくる>。愚仁以外はみんな師匠ですけれど、鈴音さんや木乃実さんその他にもたくさんのお師匠さんに出逢うことができました。19歳で時間がストップした廃仁でしたけれど、今、ようやく、19歳の歩みが始まりそうだと感じます。新しい師匠の鈴音さんに同行できたら新しい仁が誕生し、成長するかもしれない。そんな予感を持てたことがとてもHAPPYです。
 鈴音さんの余裕のある間同行させてくださいね。
体験に無駄はない。恐れず、愛せよ
 中高生の性の今と中高生の恋愛の現実を見つめ始めて、考えはじめて、やっぱり、大人が主体的に中高生と対話するときだと思っています。中高生の今は、恋愛なしに今日がないくらいの勢いです。かって『恋はブランド品?(つないだ手は 10代の性)』と朝日新聞は特集を組みました。先日女子生徒4人と食べ放題シャブを食べに行ったんですが、やっぱり話は性の問題に移ります。初体験が中2が一人、高1が一人、高2が一人、未経験一人です。二人が3人と経験がある。「うちら少ない方よ」という。未経験の子に「やすやす体許すなよ」と説くんですけれど、やはり未経験であることを「はずかしい」といいます。女同士の中で男の話で盛り上がるんですね。それに参加できないと「暗い人」になってしまう。
 そして恋愛がメディアとコマーシャリズムの中で、「商品化」されていく。流行に乗り遅れないように、悪く言えば「猫も杓子も」恋愛症候群に罹ってしまうのです。「恋に恋する」片想いで自分のセルフイメージを高めることになればいいけれど、自分自身の現実と向き合うことも、自分自身の課題をプログラミングしていくことも忘れて、「恋愛ゲーム」に埋没していく傾向が強い。人間形成の過程を省略して「ことな」のお遊戯に耽るのです。その耽る「恋ゲーム」のツールがセックスとなっている。セックスを介さない恋ゲームは成立しないのだ。メール系の恋愛、遠距離恋愛が成り立つのもこの「恋愛ブランド消費趣味」と「ひとりぽっち恐怖症」という「他人志向型人間」激増潮流の産物なのだろう。これはついには人間不信に発展していくことにもなりはしないでしょうか。ただ「好き」だけで、若さの勢いで恋をして、「できちゃった婚」をして、子育てがうまくできない、経済的に困難になる、夫婦のコミュニケーションがうまくとれない、様々な要因が重なって破局が訪れる。一番中高生に関わって大事だと思うのは<コミュニケーション能力>です。自分の想いを伝えることができない。人の心を読みとることができない。不安と疑いに追いまくられて、ちょっとしたことでケンカになり、補修ができなくなる。「ムカツク」だの「キレル」だのの感情レベルでつき合っているのです。「許セン」「コロシテやる」が普通の感情表現として友達同士の中で飛び交っているんです。グループの中の意地の強いリーダ格の子がちょっとした人の言葉に傷ついてメソメソシクシク泣いている。弱い子も強い子も結局人に合わせているだけで、自分自身というものを持っていないんです。ここで踏ん張るんだというここを持っていないんです。自分の独自の世界を持っていないから、恋愛していても、恋愛ごっこがおもしろいのであって、当の相手は誰でもいいのでしょう。プリクラで写真の数を自慢するように、「恋人」がいることを自慢するんです。古い古い古仁はそんな恋愛するなと叫ぶんです。恋愛する前に自分のことがわかるようになれ。人の心を感じ取れるようになれ。受け容れる力をつけよ。信じる力をつけよ。愛する力をつけよ。もっと知恵を欲しがれよ、と叫ぶのです。
 嫌われたり、うざがられたり、ああ、あた仁が叫んでると冷笑されたりしますけど、なぜだか必死に叫んでいるんです。
 <愛することは、傷つくことでもありますよね。身を削る愛は、自分を消耗させ、相手も消耗させてしまう。それでも、深く、深く人を愛する経験は、自分の内面を深く、深く耕してくれます。私からは、「恐れず、愛せよ!」と十代の皆さんにはエールを送りたいです>
 木乃実さんより「恐れず、愛せよ!」という生徒達へのエールをもらって、愚仁はちょっと生徒達のお節介しすぎていることを反省しました。昔は昔、今は今。大人は大人、生徒は生徒。それぞれが固有の生き方をしているのだと思い直しました。みんな精一杯生きているんだから、もっともっとせいいっぱい生きていこうよ。生きぬこうよ。体験が生きる力だよ。生きている体験が知恵なんですよね。生きている体験が生きる力なんですよね。
「恐れず、愛せよ」、恐れず、生きよ。生きぬけば、幸せが生まれてくる。勢いのまま時には突っ走ってもいいじゃないか。傷ついて、泣きわめいてもいいじゃないか。素直に、精一杯自分の今に素直に生きぬけば、周りに支えてくれる人はいっぱい現れるんだ。求めれば、人はつながっているんだ。人とつながって生きているんだから、恐れることはない。恐れず、愛せよ。
 だから、古仁は古いまま、叫び続けて、ネヴァギブアップ、恐れずに、生きよと願って、易い恋愛から抜け出せとやっぱり叫び続けます。易い恋愛も財産だから次のステージへステップアップして行けと叫び続けることにしましょう。
「小さな器」と「恋愛ゲーム」
<昨日、好きな人とメールして、私いつも甘えてゴメンねっていったら、謝るくらいなら言わなきゃいいやん!って言われてしまって。そうだよなって思うけど、でも自分がどうしていいかわからない。甘えちゃいけないってわかってる。だけど、わかってほしい。わかってもらいたいって思っている自分もいる。話したいって思ってメールするけど、不安になって、嫌われたくなくて、メールしたことを後悔する。本当の自分を隠して、なるべくいい言葉を探して、「いい人」を演じてる。だけど、本当の私をわかってほしくて、泣いて、またごめんねってメールする。私うざい人だなって思うし、わかってるけどどうしようもなくて、甘えてしまう>
 夢紗嵯がどんな人とつき合っているか、仁にはわからない。わからないから具体的にアドバイスできない。サポートもあまりできない。だから、現実、彼氏とどんなつき合い方をしているのか、具体的に話してくれるともっと一緒になって、夢紗嵯の心に沿った形で考えていけると思う。
 そもそもどんな形で彼と出会ったのか?
 彼はどんな立場の人で、どんな人なのか。
 彼の何が好きなのか。
 彼は夢紗嵯のことをどう思っているのか。
 なぜ、「つき合ってはいけない人」なのか。
 そんなことをもう一度、夢紗嵯自身整理して、自分がどんな恋をしているのか「総括」してみた方がいいと思うよ。前にも書いたように、現実的に好き合って、支え合って、もっと先へ発展できる恋なら、「とことん、とことん」具体的に考えていかなければならないけれど、「片想い」や「自分だけの思いこみ」の場合は、いわゆる「恋に恋する」というもので、恋しているという気分や錯覚で迷路の中にはまりこんでしまうことが多い。そうなると現実が後退して、幻想の中で恋の主人公になり、それが「本気」だと思わせてしまう。もうそれを失うことが自分を失うことと同じものになってしまうほどだ。夢想は現実によって思っていたより早く打ち破られるものだ。「結婚」を前提にしない恋は「恋に恋する」ことが多い。「結婚」を前提にしていないからいつだって別れを予測しているのだ。予測された別れなので、泣いて、苦しんで(それは恋愛ゲームのカタストロフィとしてもっとも重要な要素だ)、そしてまた次の恋に移るのだ。それは恋ごっこだったり、恋ゲームだったりするのだ。精神的にも経済的にも自立していない中高生にとって恋愛は非現実的なものだから、「恋に恋する」ことしかできないのだ。

 「恋に恋する」、それは誰もが通る道なのだ。夢紗嵯も今その道の真ん中にさしかかっているのだ。けれど、ひょっとすると、夢紗嵯は「恋を恋する」次元から一歩踏み出して、禁断の木の実を欲しがる人間との恋の入り口に立っているのかもしれない。だが、夢紗嵯よ、もう一度自分自身の立場と自己実現の道筋を見つめ直してみよう。今はまだ「恋を恋する」次元でいいのだ。まずは自分が自立して、人間を見る目を養って、いい人と出会える準備をして、相互に学び合い、支え合い、共に向上し、成長していける人との出会いを求めるのだ。片想いは自分を高める。片想いは自分を寛大にする。だから今は、片想いでいいのだ。
 そうでなく、現実の恋をしたとき、どんな恋をするんだ?「だけど、本当の私をわかってほしくて、泣いて、またごめんねってメールする」・・・わかってほしい「本当の私」を夢紗嵯自身はわかっているの?「本当の私」をわかってほしいことと「甘えたい」こととは違うんだよ。子どもが親に甘えるように女が男に甘えることはできないんだ。同じように男が女に甘えることはできないんだ。人を甘えさせることができる人間はとてもとても大きな人間だ。器の大きな人間だ。そんな人間は夢紗嵯の同世代でそんなにいるわけではない。理解する力さえまだできていないのに甘える夢紗嵯を受け容れることができると思うかい?「甘えたい」思いを伝えたとき、彼氏はとってもクールだった。

 <このことを伝えたら、今のオレに甘えるのはきびしいやん。それなら他に甘えられる人つくったほうが楽と思うよ。身近に甘えられる人がいるかもしれないのに、気づいていないのかもしれないから。もっと視野を広げてみたら?
 っていわれた。私はあなたにしか甘えたくない。他の人には弱いところ見せたくない>
 彼氏はとても正直だよ。「今のオレに甘えるのはきびしいやん」・・・それは現実なんだよ。相手が器の大きい人なら、無い物ねだりの子守唄、ない物ねだって、すねて、甘えて、泣きついて、それをよしよしと、親のようにあやしてやって、夢紗嵯が眠るのを待つだろう。だけど、もう一度いうよ、彼氏は親じゃないんだ。人生始まったばかりのまだまだ青い果実なんだ。これから、一緒に生きて、一緒に成長していくんだよ。それを確かめ合えるような関係を創りだしていくのが恋なんだよ。好きだじゃなく、一緒に生きていく、なんだ。一緒に生きていくからには共通の具体的な行動目標と人生設計がいるんだ。好きだ好きだでは恋は成就しない。好きだ好きだは遊びの内。遊びは重いことは避ける。つらいことは避ける。苦しいことはもっと避ける。遊びは楽がいい。今が楽しければそれでいいんだ。何が楽しいか?何が欲しいか?そこで動いている「恋愛ゲーム」が多くなっているんだよ。

 夢紗嵯の彼氏は夢紗嵯とどんな恋がしたいと思っているんだろうね・・・。

泣いたわけ・・・へどうぞ
泣いたわけ    by 夢紗嵯
 なんでだろう。自分でもよくわからないんだ。なんか、自然に出てきた。友達が学校に行きたくないって悩んでて、話聞くだけで私には何もできない。何もしてあげられない。
 昨日、好きな人とメールして、私いつも甘えてゴメンねっていったら、謝るくらいなら言わなきゃ言わなきゃいいやん!って言われてしまって。そうだよなって思うけど、でも自分がどうしていいかわからない。甘えちゃいけないってわかってる。だけど、わかってほしい。わかってもらいたいって思っている自分もいる。話したいって思ってメールするけど、不安になって、嫌われたくなくて、メールしたことを後悔する。本当の自分を隠して、なるべくいい言葉を探して、「いい人」を演じてる。だけど、本当の私をわかってほしくて、泣いて、またごめんねってメールする。私うざい人だなって思うし、わかってるけどどうしようもなくて、甘えてしまう。
 このことを伝えたら、今のオレに甘えるのはきびしいやん。それなら他に甘えられる人つくったほうが楽と思うよ。身近に甘えられる人がいるかもしれないのに、気づいていないのかもしれないから。もっと視野を広げてみたら?
 っていわれた。私はあなたにしか甘えたくない。他の人には弱いところ見せたくない。そう思う。他に甘える人なんて簡単につくれない。私は今までのあなたと過ごして、あなたに甘えたいと思ったのに。この気持ちは伝えちゃだめなのかな?
 あなたにはもう甘えられない。私は誰にも甘えちゃいけないんだ。

泣いたわけ・・・特集します

 夢紗嵯さんが泣かないでいいように、メッセージをお寄せください。ここを通り過ぎた人たちの体験を通したアドバイスや生きる力を分けてやってください。
 この地平で悩み苦しんでいる人たちは若い人たちの中にも多くいるようです。今朝ラジオで福岡県は全国3位になっつぉうで素。何が?未婚率です。未婚の人が56%になったそうです。自由恋愛ができているのでしょうか・・・?それとももう恋愛もしなくなったのでしょうか。シングルライフも一つの人生スタイルですけれど、もし、ステキな出会いがあったら、恋愛し、結婚して、幸せなファミリー営みたい・・・と願っていてできないで居るのなら、どうしたらいい恋愛ができるか、体験談を出し合っていけると、若い人たちの道しるべになれるでしょう。
 メッセージ発信してくださいね。


夢紗嵯さんに「強くなる生き方教えてやるよ」と約束したのでお手紙書きました。ちょっと難しい話をしましたが、夢紗嵯さんは賢い人ですからきっと理解できるだろうと思います。彼がどんな人間かわからないので、彼の理解の仕方や心の伝え方を丁寧に教えてやるのがもっともわかりやすくて、実践しやすいことでしょうけれど、ともかく恋や愛ということについてのスタンスをしっかりと身につけてほしいと思うのです。

 強いとは受け容れる力があること

  夢紗嵯のなくわけがわかりました。
 <いついなくなるかわからないあなたをずっと思っていられるかな?あなたを見られなくなってしまったらどうすればいいのかな?そんなの考えたら恐くて泣いてしまう>と夢紗嵯は書いている。<どうしてつき合えない人を好きになってしまったの?私バカじゃない>とも書いた。ともかく毎日毎日その彼に向かう心を書き続けてきた。ただただ心を書いてきた。心はいつも同じところを巡るだけだよ。どう生きるかが具体的に展開できないことでどんなに考えても先に進むことはできないんだ。具体的に何があって、どこをどうすれば、どうなるという見通しを立てることが考えるということだ。見通しを立てたらそれを実行する。実行して失敗したら、その失敗を振り返って、その原因を探り、自分に欠けていたものが何かを知り、それをどう身につけるか努力し、そして見通しを立て直すんだ。考えるということはそういうことだ。自分を磨くということも成長させるということもそういうことだ。「つき合えない人とつき合って」先の見通しを立てることができないのが現タなら、その人のことをどんなに想っても思っている自分がいるだけだから、何も先に進まない。進まないことを知っていて、どうして思い悩むの・・・?夢紗嵯が、今、しなければならないことは何なのだろう?
 「なんでだろう。自分でもよくわからないんだ。なんか、自然に出てきた」というのが夢紗嵯が泣いた訳だった。けれど、ほんとうはわかっているんだ。やっぱり、自分の想いが彼に伝わらないことが涙の訳だったのだ。泣きたいのに、泣いて甘えたい自分を受け容れてくれない彼がいる。「あなたにはもう甘えられない。私はだれにも甘えちゃいけないんだ」・・・だから、ただ、もう呆然となって、なにをどうしていいかわからなくて、ただ泣いてしまう夢紗嵯がいる。
 そういう状況だと理解していいのかな。
 夢紗嵯は<仁どうしたら強くなれる?泣かないって約束したのに涙が出てしまう。強くなりたいよ>と昨夜メールをくれていた。仁は今朝それを開いて<おはよう、仁です。強くなる生き方教えてあげるよ。どうして泣いたかまず教えてね>と返事送った。
 まだ仁には具体的な状況があまりはっきりとはつかめていないけれど、ともかく一般論でひとつ言っておきたいことがある。「強くなるということは、具体的な現実をきちんと受け容れて、自分を見失わず、しっかりと生きていくこと」なんだよ、ということだ。泣きたいだろうけど、泣いたからって状況は変わらない。泣けば泣くほど彼から疎んじられるだけなんだ。じゃ、どう生きていけばいい・・・?彼が「つき合えない人」であろうと、なかろうと、自分の好きの心が本物なら、その自分の心を大事にして、その自分の心を支えにして、自分の自立の道を確かな歩みで進んでいけばいいのだ。彼をそこまで愛し続けたから今の私になれました。10年かかりましたけれど、あなたを愛してよかったと、そういえる夢紗嵯になればいいんだ。彼への思いを自立と自己実現の原動力にすればいいんだ。そんな自分の生きている姿を時々メールで知らせればいい。そのメールは感謝と喜びに満ちていて、いつも輝いている夢紗嵯として彼に届くだろう。「私はあなたにしか甘えたくない」そんな甘っちょろいところで彼に甘え、泣きついていたら、どんな男だってもういいよ、って思ってしまうだろう。「甘える」という言葉は自立した人間が言える言葉なんだ。「甘える」ということは「甘えられる」ということだ。夢紗嵯は彼が甘えてきたいと思うほど「大きな器」に成長しているかなぁ・・・?彼の心のひだを読みとる力を持っているかな・・・?彼の疲れた心を癒すだけの心を持ち合わせているかな・・・?彼を愛するということはそんな大きな心を持てるようになるということだ。彼をとことん愛し続けなければそんな大きな受け容れる心は育たないんだ。彼を愛する力は夢紗嵯自身が自分自身を大事に生きる力として返ってくるものなんだよ。<強くなる>というのはそういうことなんだ。
 夢紗嵯、強くなりたいかい?
 「今のオレに甘えるのはきびしいやん。それなら他に甘えられる人つくったほうが楽と思うよ・・・」と彼は夢紗嵯にアドバイスくれた。それでも、夢紗嵯が彼に甘えたいのなら、彼を愛し続けたいのなら、人に甘えるような夢紗嵯じゃなく、課題も生活も仕事もきちんとやりこなせるゆとりを持った人間として自己実現していくことしかないだろう。そんな夢紗嵯になったときでも、まだ、彼が好きなら、そんな夢紗嵯になって彼に愛を告白すればいい。彼は夢紗嵯がまぶしすぎて、夢紗嵯を真正面から見据えることさえできないかもしれない。夢紗嵯には彼の器の小ささが見えてくるかもしれない。それでもまだ彼が好きなら、夢紗嵯が知らないうちに、彼は彼で、自分自身と戦って、自立して、大きな器になっている彼なのだろう。その時二人は本当に愛し合っていたんだとうことを了解することができるだろう。そんな愛だってあるんだよ。
「愛」という字
 <笑顔が素敵な人だった>そして、<「できることをすべてしてあげる」ことが「愛」だと言った人だった・・・・・・>そんな元kareちゃんに20年間チョコレートを送り続けているんですか?うわぁあああぁっ、という叫び声しか上げることができませんよ。そんなぁぁぁ・・・そんな人が存在することが凡仁には驚異です。驚嘆です。だから、もっと知りたくなってしまうんです。そんな心の謎が解けるようになったら宇宙の謎も解けるんでしょうね。「とことん」愛するってことはそんなことなんでしょうか・・・。
 人間関係の有象無象を越えて超人的な愛が存在するのかもしれません。愚仁もかって大杉栄のフリーラブセオリーに倣って超人的な愛を追求しようとしたことがありました。併し、そんな愛を追求したいという人との出会いがないまんま胡散霧消してしまったのでした。そのむかしサルトルとボーボワールはそんな超人的愛を実践して今月今夜のこの月の下で会うことを約束してフリーラブを実行し、そして魂月今夜のこの月の下で二人はもっと深く根元的になった愛を確かめ合うことができるのでした。そんなことができるのはそんな幻視する超人の生を生きる力を持った人なんですよね。凡仁にできる話ではありません。大杉栄だってそんな超人的な女に出会えなくて合えなく終わるんですもんね・・・。
 さて、畏怖するおひつじちゃんの明快な分析を問題提起として受け止め、愚昧な脳味噌で、ゆっくりゆっくり咀嚼しながら、理解と具体化を考えていきたいと思います。

 ≪ ○○さんちで、「恋愛の愛」と「愛情の愛」の字の意味が違うって書いたけど、単純に、エロスとアガペーの違いを語るつもりはないんだ。
 前者はさ~、何ていうんだろうね~、何の疑いも持つことなく、あなたについていく・・・。まっさらの私、なんでも吸収できるし、あなたの好きなものはみんなスキ。盲目の愛、かな?吸収も早いし、留まることを知らない。
 でもね、所詮2人は他人。違った親の元、違った環境、教育、友達、時には宗教、色んな箇所で、あなた色には染まれないところがいっぱい出てくる。違って当然。みんな通る道。
 そこで、後者の「愛情の愛」のお出ましだ。少し努力が必要になる「愛」の形かもしれない。お互いの違い、お互いを知り尽くした上で、これが必要となってくる。違うからこそお互いを補える。違うからこそお互いをカバーして、助け合えるんだ。
 ぶつかり合って、考えて、歩み寄って・・・。の、繰り返しかな。

 元kareちゃんが、23年前、「中原中也詩集」の裏表紙に書き残した「できることをすべてしてあげること」が「愛情の愛」なんだろうな・・・。きっと、いまごろ、実践してるに違いない・・・。ふうぅ・・・≫\


 愛と恋は同じではないと93MRさんが体験的な問題提起をしてくれています。「恋が終わって愛が始まる」という展開も考えられます。「若さの勢いで恋が燃え上がり」そして「所詮2人は他人」、「違って当然。みんな通る道」へと入っていき、それが見えると、また理解し合えるようになる。けれど、その時は、もう別々の人生を歩いているんですね・・・。
 恋の最中でその道筋に気づくことはないのでしょうか・・・。
 恋の最中で愛の全体が見えることはないのでしょうか・・・。

 「みんな通る道」ならば、恋の最中の人にその体験者が自らの体験を一つの標本として、開示することもできるでしょう。おひつじさんのこのBLOGはそんな具体的な心の在り様を見せてくれているような気がします。想像力と勇気がおひつじちゃんに備わっているようです。
若さゆえ 勢いにまかせた・・・
 『愛と恋は同じではない』という93MRさんのメッセージをもとに愛や恋についての考えや体験を交流していきたいという老仁のお願いを聞いてもらえました。93MRさん、ありがとうございます。
 <若さゆえ 勢いにまかせた>93MRさんの恋のはじまりがあり、<私は彼を 愛してはいなかったのかもしれない>という恋の終わりがありました。誰もが体験し、そして反復し続けていく恋の始まりと終わりです。けれど、この終わりのあとに、93MRさんが思う<結婚は 愛の絆を作ること>という愛の始まりがあるのではないでしょうか・・・。
 「愛と恋は同じではない」「恋の中から愛は生まれる」「恋の終わりが愛の始まり」・・・さまざまな恋があり、さまざまな愛があり、さまざまに人がいて・・・人の数ほど恋があり、愛があり、さまざまなドラマがあり・・・『愛と恋は同じではない』は事実の表明だから奥が深くて、豊穣な海のようです。汲んでも汲んでも汲み尽くせないのが生の不思議だし、おもしろさなんでしょうね。二つの出来事の間に横たわる豊饒の海を少し遊泳させてほしいと思います。
 『自分は正直、再婚してほしいと思っている』 の椎座さんがいます。椎座さんの心はそれでも複雑です。李里李さんは『本当の私がわからない』と叫んでいます。去年の夏両親が離婚したんです。「子どもはかすがい」といいます。子どもと共に生きる生き道が、93MRさんの <結婚は 愛の絆を作ること>とどうつながっていくか探していきたいと願っています。
愛するということ ☆ 『菊池木乃実の日々』より
セドナの旅は、ほんとうに不思議な旅だった。今週、ずっとセドナの旅のことを書いてきて、あらためて思う。

特に、イメージのなかで夫に会って話をし、彼を手放したことは、私にとって一番つらいレッスンだったし、最も大切なレッスンでもあった。

私にとって「愛する」ことは「しがみつく」ことと同じだった。彼を愛していると思い、彼は弱いのだから保護するのだと思い、私は彼のすべてに注意を注ぎ、彼の病気さえも治せるのだと思っていた。なんという傲慢さ。なんという勘違いだろう。彼の道を私が代わりに歩むことはできないというのに、私は彼の人生さえも所有しようとしていたのだった。

彼は誰にも所有されたことはないし、これからもそうだろう。それは私も同じことだ。私は誰にも所有されないし、誰も私を所有することはできない。

私はセドナで、「愛する」とはその人を手放し、その人の行く道を見守ることなのだと知った。自分がその人にどうなってほしいか、その人にどうしてほしいか、は愛ではない。それは、執着であり欲なのだ。「愛しているから」「心配しているから」という言葉で誰かを支配しようとしたり、変えようとしたりすることは、愛ではなく、欲なのだ。

愛する人の魂がいつも悦びに満たされていますように。

自分の執着も我欲も捨て去り、ただ、愛する人のためにそう祈ることが愛なのだと、私はセドナで知ったのだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次回は、セドナの旅のクライマックス。ネイティブ・アメリカンの魂の浄化の儀式である「スエットロッジ」について書きます。

☆☆☆

 木乃実さんより快い「転載」許可を頂きました。感謝します。
 「・・・は、愛ではなく、欲なのだ」と「愛する人の魂がいつも悦びに満たされていますように」の間にあるさまざまな愛の形を仁も考えていきたいと想っています。『セドナの旅』に同行して成熟していけることを願いつつ・・・。
修羅さんの『愛するっということ』について
 修羅さんの『愛するっということ』についてみんなで考え、意見、体験を交流しましょう。

 ≪突然ですが・・
皆様も愛する人が居ますか?

「愛してる」って結構重い言葉ですよね。。
でも、言われたら嬉しい(何w
女性と男性では、また違うのでしょうか?
愛されて、愛して。。

愛って無償。。って思ってるのですが、
普通はとても難しいです^^;
人間だから、嫉妬、独占欲、などなど・・
色々な嫌な感情だって持ち合わせているので
「愛してる」なんて、なかなか言えない。。
だけど、伝えたい想いが有って、そう表現しか出来ない時もあります。。
愛する人に同じ様に愛されて、
それが一番だけど。。何時もそうなるとは限らない。。
それでも、その人の幸せを願える。。
綺麗事かも知れないけど。。そう有りたいと思う。

今まで私はやる気も無く、酷い状態が続いていて
その事で周りが見えず、失った物も沢山あります。。
やっと少しずつ見える様になって来て、どんなに沢山の愛情を頂いて来たのかって思います。
感謝をしきれません。。

人を愛せて、尊敬出来る人間で良かった。。
失敗も失った物もあるけど、
これから埋めて行きたいなぁ。。

昨日は強くなる宣言をしたけど、
昨日、今日ではすぐに強くなれる訳じゃ無い。。
それでも、毎日出来る事を何でも一生懸命やってます^^
今、それが私に出来る事♪
もちろん、大した事は何もしてないけど(笑)

まずは、お肌悪いっと指摘があったため、
毎日お肌の手入れ(笑)
髪の毛を切りきちっとする事←明日か明後日には実行しよう♪

・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・
愛する人へ

貴方は今、どんな空を見てるのでしょう?
私は元気になります!
少し強くなったら、逢いに行くね。。
少しは魅力的だと思ってくれるかしら?(笑)
辛い時も、貴方が好きだと言ってくれた
笑顔を絶やさずに、前向きに頑張るね^^

大切なかけがえの無い貴方へ・・・≫

・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:

 コメントお待ちしています。

 修羅さんより、「引用」「転載」の承諾を頂きました。これからもリンクしていきます。
 みなさんの問題提起も特集していきますので、どしどし、意見メッセージくださいね。
義経の恋その2 ☆ 目的のためには手段を選ばず
 16歳の時義経は父と慕った清盛への宿敵打倒の祈願をたてたという。
 そのためには武術を鍛錬しなければならなかった。第一の変貌である。竜馬も16歳の時心の奥深くに一大誓文を刻み込んだ。千葉道場一の剣客に成長した。竜馬の第一ステージはやはり武闘訓練だった。少年時の心根は義経も竜馬もあまり変わらなかったのではないかと思う。
 現実の武闘のステージになると義経と竜馬の間には大きな隔たりができてくる。その差異は世界観の違いだろう。30余年の中の10余年の燃焼にも歴史は大きな違いとなって結実するのだ。ここの視点の考察は21世紀のパラダイム基軸としておもしろい課題だと思う。
 義経の恋と竜馬の恋にも自ずからなる違いがおもしろそうだ。義経雑話として推論してみたくなる。ぼんやりさんの 『鬼一法眼』 によると、法眼の所持する兵法書『六韜』を読みたくて、娘と懇ろになってそれを盗みだし、読破した。暗記してしまったというのだ。その気迫の程が伝わってくる。その気迫で女に迫ればこれを拒める女はいないだろう。このパターンの恋は権力闘争の世界では当たり前のことに違いない。単純にいえば女は野望のために利用され、絶望の果てに命を落とすのだ。激怒した法眼は刺客を放って義経暗殺を企てたが、義経は逆に刺客を惨殺し、その首を法眼に投げ返した。もはやここには心優しき義経はどこにも存在しない。存在するのは打倒清盛の執念だけだ。・・・哀れ女はそんな義経のパッションに恋焦がれて自死してしまう。ここの義経が最後まで続くことになるのだ。義経が破局を迎える器の小ささがこの時の術数の中に潜んでいたと言っていいだろう。血気盛んな義経には情勢のダイナミックな力学を見通す眼力は育まれていなかった。それを開示してくれる状況も出会いもなかったのだろう。無知は悲劇を生んでも英雄は生まない。おやおや、義経英雄こき下ろしになってしまった。けれど、愚仁も義経はやはり好きなのだ。竜馬ほどではないけれど・・・。

一念発起ただの仇討ち
ラブコール虫になって・・・
 修羅さんの『愛するっということ』の転載です。
 愛や恋についてのテーマを追求していますので、修羅さんに相談して問題提起させて貰いました。このテーマはどこのBLOGでもHPでも花盛りです。仁はそんな中で、愛や恋について定義を求めようというのではなく、中高生や青年の中で迷いや不安、悩みや疑問等で躓いたり苦しんだりしている人がいるし、無知故に大やけどする人たちも多いし、生き方として道しるべになるような人たちの体験談やメッセージを提示できるようになることを目指しています。だからできるだけ多くの人たちの具体的な体験やリアルなあるがままの心の在りようと表現が力になると考えています。その時々の体験とこころと表現は生きた証ですから、何度も何度もそこに立ち戻って、その意味と価値を大きくしていく必要があると考えています。結論としての理論ではなく、体験を通しての自分自身との出会い直しと自己創造の道筋をさまざまな人たちのさまざまな生き方として道しるべになっていくだろうと思うのです。
 そんな人たちの具体的な生き様、リアルタイムのこころの表現、それを乗り越えて新しく変貌していくプロセスが、このBLOGというメディアには息づいています。仁には驚異的な可能性を予感できる世界に見えます。それで、無知で愚鈍ですが、老仁流儀でおおざっぱに、いい加減に、大ボラ小ボラ吹きながら、楽しく夢見ながら、BLOGネットワークの広場を形成していきたいと考えています。
 前のページの93MRさんとこのページの修羅さんにお願いして、今、ラブコール虫。参加していただいて、たくさんの体験談とメッセージをつないでいけることを切実に念じています。

 皆さんの積極的な参入とサポートをこころよりお願いします。
「大きな器」と「小さな器」
  93MRさんの『結婚に憧れている人へ』に次のようなコメントをしました。永遠のテーマに等しいけれどこのBLOGでもカテゴリを設けていますので、議論できることを願っています。BLOGサーフィンして体験談やメッセージの交流をお願いしていくつもりです。

 <愛と恋は同じではない>
 と93MRさんは断定しています。なぜ?そしてどこがどう違うのだろう?古来これは人びとが追求してきたテーマなのでしょう。そして人の数ほど答えもあるのでしょう。けれど、言葉で表現すると共通性は見いだせますし、類型化もできるでしょう。学者さん達がそんな理論構築はやってくれているので理解と受容の仕方は学べます。それでも愛も恋も人間そのものだし、関係性だし、具体性なんですよね。だから迷宮みたいなものなんでしょうね・・・。
 93MRさんの『結婚に憧れている人へ』は93MRさんその人の具体性そのものですから、プライバシーに関わって他人が探求することははばかられますけれど、共通する現実だし、共有できるテーマだし、反復し、乗り越えなければならない実践課題だから、やっぱり仁は93MRさんのメッセージをもう少し追求できたらいいなぁと思います。
 『結婚に憧れている人へ』は表現された作品として内容を議論することは許されることだと思うし、さまざまな体験のさまざまな表現と重ね合わせることで迷宮の構造が見えるようになるだろうし、全体性が見えてくると乗り越えの道筋も開示されていくのではないかと思うのです。
 体験者達が具体的な体験を語り、対話して、中高生や青年の学びの標本を提供したり、問題解決の道しるべを提示することは、今、とても大切なことだと思ってきました。方向性を持たないまま仁は『BLOG片想い礼賛』を始めましたが、93MRさんの『HEART』の言葉さん達とのおつき合いを通して、何か創りだしていけそうな気がしています。少し質問したり、議論したりさせてもらってもいいですか・・・?
 智遙さんへコメントいただいた「心の器」の問題は仁の関心で言えば、今の中高生に見えるようになって貰いたいと思う大きな課題です。
 たくさんの人が自由に参加して、語り合えるBLOGのネットができあがることを夢見つつ、厚かましいお願いをしました。ご一考いただければHAPPYです。
竜馬が愛した女その01
 「又あふと思ふ心をしるべにて 道なき世にも出づる旅かな」
 竜馬がお龍に贈った歌です。道なき世に新しい道を創りだそうとして命がけで単身駆け回る竜馬を支えたのがお龍さんであったことを感じます。お龍さんを唯一頼みにするしかないほど竜馬は孤独だったのでしょうね。そんな竜馬を全身全魂で受容するお龍さんはやっぱり型破れの自由人であったのでしょうね。時代を突き抜けた二人の3年余の愛はおもしろおかしく、またはかなくかなしい輝きでした。
 『 龍馬が生きて居ったなら又何とか面白い事もあったでせうが・・・ 是が運命と云ふものでせう、死んだのは昨日の様に思ひます 』
 後年、お龍さんが語った言葉です。悲惨とも思える66年間のお龍さんの後半生ですが、死ぬまで竜馬と一緒だったことを知ることができます。「坂本竜馬が妻龍子」がお龍さんの墓碑銘でした。
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