
★ 瘋癲老仁妄詩 31603
――☆★☆―――――――――――――――☆★☆――
極北の愛追い縋る散る櫻
――☆★☆―――――――――――――――☆★☆――


極北の愛まで、妄詩の世界で、行ってみました。
★★★ 『 極北に辿り着きたる念ひとつ抱いて今世を遊びけり 』 ★ 瘋癲老仁妄詩 14901 ♪♪♪
だから、もう、幻視するものは、その先が、なくなったのですけれど、
その幻視する愛の極北は、
やっぱり、何度でも、辿り直して、より、具体的なイメージを創りだしていきたいとも思うんです。
老仁一人は、行ったつもりになっても、
それを語れなかったら、行ったことにならないし、
語れたとしても、それが人の心に伝わって、イメージを結べなければ、
やっぱり、行ったことにはなりませんよね。
妄詩といえど、やっぱり、立派なイメージ世界ですから、
言葉で、具体的なイメージとして、表現できるのでしょう。
具体的イメージとして表現できるまで、
繰り返し、繰り返し、
極北の愛を辿り直すことに致します。
良寛さんの愛も、一休さんの愛も、世阿弥さんの愛も、
もう、すでに、具体的に生きた人の極北の愛の道しるべがあるのだから、
老人の妄詩の愛など、
誰も、見向きも、一顧だにも、するものではありませんけれど、
人がどうあろうと、
老仁は、ひとり遊びを楽しみながら、
老仁の極北の愛を辿りつづけていくのです。
もう、辿るというよりも、縋るような思いも強くなっているのでしょうけれど、
縋る思いを強く持つほど、
老仁の最後の夢になっているのでしょうね・・・
★★★ 『 観音に抱かれ眠りし春の宵 』 ★ 瘋癲老仁妄詩 14210
♪♪♪
そんな最後の、縋るような夢の、ひとり遊びに、
のぅが、おつき合いしてくれるようになって、
良寛さんと同じくらいHappyな時をもらっています。
★★★ 『 つきて見よ ひふみよいむな やここのとを とをとおさめて またはじまるを 』 ★ 良寛貞心尼相聞歌0201 ♪♪♪
愛呼が人間になっていく流れの中で、
のぅが、精霊になって、老仁のひとり遊びに同伴してくれることになりました。
もうすぐ散っていく老仁ですけれど、
たとえ一時でも、つき合ってくれるのぅと愛呼に、感謝します。
★★★ 『 散るさくらとおを数えてまた遊ぶ 』 ★ 良寛の恋00301 ♪♪♪
もう、聞くこともないと思っていた声を、
再び聞くことができることは、最高に幸せなことなのです。
もう、見ることもないと思っていた夢を、
再び見ることができることは、最高に楽しいことなのです。
★★★ 『 幻視する愛の彼方に散る桜 』 ★ 良寛の恋00101 ♪♪♪
そんな最高の時を、
今、過ごせることを喜び、感謝します。
もう、いつ散ってもいいのですね。
★★★ 『 独りなれば観音吾を抱き給う独りに在らずば現れるなし 』 ★ 瘋癲老仁妄詩 13503 ♪♪♪


スポンサーサイト
| ホーム |