片想い礼賛
 <からだを許さない恋愛は、あるいはカタオモイは、愛されるにふさわしい人間になる努力をするんだよね。だから成長するし、美しくなる>という≪片想い礼賛≫をテーマに編集。投稿歓迎。
義経の恋その2 ☆ 目的のためには手段を選ばず
 16歳の時義経は父と慕った清盛への宿敵打倒の祈願をたてたという。
 そのためには武術を鍛錬しなければならなかった。第一の変貌である。竜馬も16歳の時心の奥深くに一大誓文を刻み込んだ。千葉道場一の剣客に成長した。竜馬の第一ステージはやはり武闘訓練だった。少年時の心根は義経も竜馬もあまり変わらなかったのではないかと思う。
 現実の武闘のステージになると義経と竜馬の間には大きな隔たりができてくる。その差異は世界観の違いだろう。30余年の中の10余年の燃焼にも歴史は大きな違いとなって結実するのだ。ここの視点の考察は21世紀のパラダイム基軸としておもしろい課題だと思う。
 義経の恋と竜馬の恋にも自ずからなる違いがおもしろそうだ。義経雑話として推論してみたくなる。ぼんやりさんの 『鬼一法眼』 によると、法眼の所持する兵法書『六韜』を読みたくて、娘と懇ろになってそれを盗みだし、読破した。暗記してしまったというのだ。その気迫の程が伝わってくる。その気迫で女に迫ればこれを拒める女はいないだろう。このパターンの恋は権力闘争の世界では当たり前のことに違いない。単純にいえば女は野望のために利用され、絶望の果てに命を落とすのだ。激怒した法眼は刺客を放って義経暗殺を企てたが、義経は逆に刺客を惨殺し、その首を法眼に投げ返した。もはやここには心優しき義経はどこにも存在しない。存在するのは打倒清盛の執念だけだ。・・・哀れ女はそんな義経のパッションに恋焦がれて自死してしまう。ここの義経が最後まで続くことになるのだ。義経が破局を迎える器の小ささがこの時の術数の中に潜んでいたと言っていいだろう。血気盛んな義経には情勢のダイナミックな力学を見通す眼力は育まれていなかった。それを開示してくれる状況も出会いもなかったのだろう。無知は悲劇を生んでも英雄は生まない。おやおや、義経英雄こき下ろしになってしまった。けれど、愚仁も義経はやはり好きなのだ。竜馬ほどではないけれど・・・。

一念発起ただの仇討ち
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 非業の英雄誕生には運命的ないくつもの出会いが要請される。ナポレオンならぬ日本人好み英雄待望論は古来人びとの夢の中に育まれてきただろう。美化と超人的能力、悲恋と悲劇が構成要素である。21歳までの義経伝説は人びとの願望の結晶として紡ぎ出されていく。ついに「
2005/02/07(月) 13:26:40 | 好奇心全開!!時事問題を語ろう