片想い礼賛
 <からだを許さない恋愛は、あるいはカタオモイは、愛されるにふさわしい人間になる努力をするんだよね。だから成長するし、美しくなる>という≪片想い礼賛≫をテーマに編集。投稿歓迎。
愛するということ ☆ 『菊池木乃実の日々』より
セドナの旅は、ほんとうに不思議な旅だった。今週、ずっとセドナの旅のことを書いてきて、あらためて思う。

特に、イメージのなかで夫に会って話をし、彼を手放したことは、私にとって一番つらいレッスンだったし、最も大切なレッスンでもあった。

私にとって「愛する」ことは「しがみつく」ことと同じだった。彼を愛していると思い、彼は弱いのだから保護するのだと思い、私は彼のすべてに注意を注ぎ、彼の病気さえも治せるのだと思っていた。なんという傲慢さ。なんという勘違いだろう。彼の道を私が代わりに歩むことはできないというのに、私は彼の人生さえも所有しようとしていたのだった。

彼は誰にも所有されたことはないし、これからもそうだろう。それは私も同じことだ。私は誰にも所有されないし、誰も私を所有することはできない。

私はセドナで、「愛する」とはその人を手放し、その人の行く道を見守ることなのだと知った。自分がその人にどうなってほしいか、その人にどうしてほしいか、は愛ではない。それは、執着であり欲なのだ。「愛しているから」「心配しているから」という言葉で誰かを支配しようとしたり、変えようとしたりすることは、愛ではなく、欲なのだ。

愛する人の魂がいつも悦びに満たされていますように。

自分の執着も我欲も捨て去り、ただ、愛する人のためにそう祈ることが愛なのだと、私はセドナで知ったのだった。

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次回は、セドナの旅のクライマックス。ネイティブ・アメリカンの魂の浄化の儀式である「スエットロッジ」について書きます。

☆☆☆

 木乃実さんより快い「転載」許可を頂きました。感謝します。
 「・・・は、愛ではなく、欲なのだ」と「愛する人の魂がいつも悦びに満たされていますように」の間にあるさまざまな愛の形を仁も考えていきたいと想っています。『セドナの旅』に同行して成熟していけることを願いつつ・・・。
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コメント
この記事へのコメント
仁さん
HPのコメント読みました。「まず、自分を大切にせよ」ということは大前提ですよね。自分を愛することがきちんとできないと、きちんと人を愛することはできないです。でも、人を好きになるからこそ見える自分の不完全さや弱さというのもあありますよね。Hしてしまって後悔したという女の子。とことん、後悔して、自分を大切にするということを心に刻んでくれるといいなあ、と思います。
2005/02/10(木) 22:06:49 | URL | konomi #-[ 編集]
とことん、後悔して、自分を大切にする
 木乃実さんコメント感謝です。
 また一つ心のエネルギーもらえました。<とことん、後悔して、自分を大切にするということを心に刻んでくれるといいなあ>という願いを仁も持ちながら生徒達とつき合っているつもりでした。なのに、全くだと納得しながら仁はその言葉をまだ使ったことがないんです。この言葉使わせてくださいね。この言葉のエネルギーは大きいですよ。ありがとうございます。
2005/02/11(金) 14:51:21 | URL | 青柳仁 #LUhkU0zU[ 編集]
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