片想い礼賛
 <からだを許さない恋愛は、あるいはカタオモイは、愛されるにふさわしい人間になる努力をするんだよね。だから成長するし、美しくなる>という≪片想い礼賛≫をテーマに編集。投稿歓迎。
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「愛」という字
 <笑顔が素敵な人だった>そして、<「できることをすべてしてあげる」ことが「愛」だと言った人だった・・・・・・>そんな元kareちゃんに20年間チョコレートを送り続けているんですか?うわぁあああぁっ、という叫び声しか上げることができませんよ。そんなぁぁぁ・・・そんな人が存在することが凡仁には驚異です。驚嘆です。だから、もっと知りたくなってしまうんです。そんな心の謎が解けるようになったら宇宙の謎も解けるんでしょうね。「とことん」愛するってことはそんなことなんでしょうか・・・。
 人間関係の有象無象を越えて超人的な愛が存在するのかもしれません。愚仁もかって大杉栄のフリーラブセオリーに倣って超人的な愛を追求しようとしたことがありました。併し、そんな愛を追求したいという人との出会いがないまんま胡散霧消してしまったのでした。そのむかしサルトルとボーボワールはそんな超人的愛を実践して今月今夜のこの月の下で会うことを約束してフリーラブを実行し、そして魂月今夜のこの月の下で二人はもっと深く根元的になった愛を確かめ合うことができるのでした。そんなことができるのはそんな幻視する超人の生を生きる力を持った人なんですよね。凡仁にできる話ではありません。大杉栄だってそんな超人的な女に出会えなくて合えなく終わるんですもんね・・・。
 さて、畏怖するおひつじちゃんの明快な分析を問題提起として受け止め、愚昧な脳味噌で、ゆっくりゆっくり咀嚼しながら、理解と具体化を考えていきたいと思います。

 ≪ ○○さんちで、「恋愛の愛」と「愛情の愛」の字の意味が違うって書いたけど、単純に、エロスとアガペーの違いを語るつもりはないんだ。
 前者はさ~、何ていうんだろうね~、何の疑いも持つことなく、あなたについていく・・・。まっさらの私、なんでも吸収できるし、あなたの好きなものはみんなスキ。盲目の愛、かな?吸収も早いし、留まることを知らない。
 でもね、所詮2人は他人。違った親の元、違った環境、教育、友達、時には宗教、色んな箇所で、あなた色には染まれないところがいっぱい出てくる。違って当然。みんな通る道。
 そこで、後者の「愛情の愛」のお出ましだ。少し努力が必要になる「愛」の形かもしれない。お互いの違い、お互いを知り尽くした上で、これが必要となってくる。違うからこそお互いを補える。違うからこそお互いをカバーして、助け合えるんだ。
 ぶつかり合って、考えて、歩み寄って・・・。の、繰り返しかな。

 元kareちゃんが、23年前、「中原中也詩集」の裏表紙に書き残した「できることをすべてしてあげること」が「愛情の愛」なんだろうな・・・。きっと、いまごろ、実践してるに違いない・・・。ふうぅ・・・≫\


 愛と恋は同じではないと93MRさんが体験的な問題提起をしてくれています。「恋が終わって愛が始まる」という展開も考えられます。「若さの勢いで恋が燃え上がり」そして「所詮2人は他人」、「違って当然。みんな通る道」へと入っていき、それが見えると、また理解し合えるようになる。けれど、その時は、もう別々の人生を歩いているんですね・・・。
 恋の最中でその道筋に気づくことはないのでしょうか・・・。
 恋の最中で愛の全体が見えることはないのでしょうか・・・。

 「みんな通る道」ならば、恋の最中の人にその体験者が自らの体験を一つの標本として、開示することもできるでしょう。おひつじさんのこのBLOGはそんな具体的な心の在り様を見せてくれているような気がします。想像力と勇気がおひつじちゃんに備わっているようです。
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